je suis comme je suis


ayayaya:

surrealism

— 1 week ago
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第5回「日本の若者たちへ」
ゾマホン

これまでのメルマガでは、「私のこれまでの人生」「アフリカの事実」「マス
メディア」についてふれてきました。これまで読んでくださった皆様に心から
お礼申し上げます。ありがとうございます。

このメルマガも残すところ2回ということですので、今回は日本の若者たちへ
のメッセージを書かせていただきます。このメルマガを読まれている方は、ほ
とんどが社会人の方だと思いますので、私のメッセージはその方々に向けて書
かせていただきます。

【日本の若者たちへ】
まず、あなた方は「日本の柱」です。「日本の柱」というと「世界の柱」とい
っても言いすぎではありません。あなた方は世界を救う力があると思います。
これはお世辞でゾマホンが言っていることではありません。お酒を飲んで酔っ
払っているわけでもありません。

世界を見渡せば、まだまだ生きるのにも苦しい地域は沢山あります。母国ベナ
ンでも水が透明だということを知らないで、死んでいく子どもも沢山います。
井戸がなく、濁った水しか見たことがないからです。アフリカ大陸では飢餓や
不衛生に伴う病気で、毎日8,000人以上が死ぬと言われています。あなたがこ
のメルマガを読んでいる間にも、尊い命が亡くなっています。

世界はまだそんな状況です。

それに比べると日本は大変恵まれています。蛇口をひねれば、当たり前のよう
に透明な水が出てきます。お腹が減ったらご飯を食べることができます。勉強
したくても、したくなくても学校に通います。そして大学にも行くことができ
ます。そんな恵まれた国は、世界を見渡してもそんなに多くありません。

だから私は日本の若者たちに期待したい。この国の若者であれば、きっと世界
における様々な問題を解決してくれるのではないかと・・・

だから私は日本の若者に強く言いたい。マスメディアに惑わされず、欧米の言
うことに無条件で賛成せず、事実は自分の目で見て確かめて欲しいと。

日本は失業率が5パーセントを超え、不景気で大変なことも存じ上げております。
職場では、朝早くから遅くまで一生懸命働いていることも存じ上げております。
そんな状況なので、若者たちは将来が不安になったり、将来を考えることがで
きなかったりするかもしれません。

しかし、世界から見ると、あなたは恵まれた環境で育った貴重な人材です。だ
からいつも気持ちのどこかで「世界のことをもっと知ろう」という気持ちを失
わないで欲しいと思います。

そして私と同じ世代、もしくはそれ以上の方は日本のため、世界のために立派
な若者を育てて欲しいと思います。日本の大黒柱、いや世界の大黒柱として。

もう一度最後に言います。私は日本人にお世辞を言っているのではありません。
私はアフリカから来た人間として、この日本がどれだけ恵まれた国かを知って
います。そして、なによりも日本人は「お元気ですか?」の返答に「お蔭様で
・・・」という挨拶があるように、相手のことを思いやる国の人たちだから。

“相手の事を思いやる”それが今一番大切な事だと私は思っています。

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

ベナンについて詳しくは私のサイトも参考いただければと思います。
http://www.zomahoun.com/

(終わり)

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— 3 weeks ago with 248 notes
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元ネタなのですが。こんな話を、ずいぶんと昔に聞きました*1。

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ある男が腹を空かせていた。

そこで、まんじゅうを一つ食べた。でもまだ空腹は満たされない。

二つ目のまんじゅうを食べた。でもまだ空腹は満たされない。

三つ目まんじゅうを一つ食べた。ようやく空腹は満たされて、男は言った。

「なんだ。はじめから三つ目のまんじゅう1つだけを食べればよかった。
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これがどれほど愚かな話かはわかると思うのですが…本当に理解できているのでしょうか?

使っているフレームワークの、関数の、システムの裏側はブラックボックスのままでよいです。

別に普段、HTTPやSMTPやその他プロトコルについて考え思いを馳せる必要もないです。

メモリとかCPUコストとかを意識する必要もありません。

ちゃんと学び理解しているのなら。

ブラックボックスは必要なら開いてホワイトボックスに出来るからこそ「必要な時までは」ブラックボックスでよいのです。

最低限一度以上はきちんとRFCを読み、また必要であるならいつでもそこに立ち返る事が可能であるからこそ「今この瞬間は」別に考えなくてもよいのです。

必要であればメモリ的にタイトなコードが組め、CPUがどう動いているかを理解し考察し、そのために必要なコードに置き換える事が出来るからこそ、「そこまでタイトな要求でなければ」そこまでを意識しなくてもよいのです。

やらない事は時として非常に大切ですが。

「出来なくてもよい」わけではないのです。

大切なのは「出来るけどやらない」。切り札は切らないためにあるものですが、同時に「それを持っている事」自体が交渉において強い圧力となるのです*2。

そうして、そうした基礎を学ぶためには、結局の所「結構泥臭い基礎」が必須かつ不可避なのです。

「メモリなんか意識しなくても大丈夫」「コンピュータアーキテクチャなんかわからなくても今は問題ない」その他諸々。とんでもない誤解です。

基礎が出来ていなければ、便利さの裏側にある「不便さ」を知らなければ、結局その先を十分に享受する事は出来ないのです。

一つ目と二つ目のまんじゅうを食べたからこそ、三つ目のまんじゅうで「満腹」という幸せを享受できるのです。

あなたは。

ちゃんと基礎を、裏側を、背景を知り、学んでいますか?

それとも、三つ目のまんじゅうだけを食べようとしていますか?

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— 3 weeks ago with 351 notes

seepassyouagain:

ごく短いプラットフォームに登山列車が停まり、中から旗を掲げた人が出てきた。そのあとをたくさんの人々がぞろぞろとついて、改札までの行列をつくった。

「なんて悲劇的」
一緒にいた友だちが言う。

「ここ箱根だよ。いちばん気楽な類の観光地だよ。そこに来るのに旅行会社に頼んで連れてきてもらって、旗のあとにぞろぞろついていくなんて、そういう人があんなにたくさんいるなんて、きっと今日だけじゃなくて、日本中にもっとたくさんいるなんて」
ひどい悲劇、と友だちは言う。

私たちは自分でどこへでも行けることが正しくて、そうでないことは悲劇的だと信じて生きてきた。

私たちは世界のさまざまな場所についての情報を手にし、交通機関を駆使するための知恵をつけ、切符を買う経済力を確保し、トラブルがやってきても生きて戻ってくるだけの胆力をやしない、片言の外国語を話し、戻ってきたときに「楽しかった」と話せる居場所をつくってきた。

だから友だちは、それを少しも手にしていないように見える人たちを目にして、悲劇だと嘆く。


私は今年の春、生まれてはじめて最初から最後までひとりで海外を旅行した。
その直後に会った年上の知りあいに、「最後の関門をクリアした気分です、これでいつでもどこにでも行けます」と話した。
そうしたら彼女はこう言った。

「それじゃあ、あなたはきっとこれからほんとうに寂しくなりますね」

「誰かを頼らなければ何かができないから他人を欲するというのは、そんなに寂しいことじゃない。だって欲しているのは機能なんですから。いくらでも代わりはいるじゃないですか。

いろんなことが自分でできて、それでも他者が必要だと思ったら、それがほんとうの孤独ですよ」

「私はときどき思うんです。他者を欲する動機が説明できないことに比べたら、ひとりでできないから他者を欲することのほうが、まだマシなんじゃないかと。何かができなくて満たされないのは不便なことではあっても、こんなにも根本から寂しいことではなかったから」


登山列車に乗っていると、「ただいまより車掌が車内限定販売のお土産品を持ってお伺いします」というアナウンスが流れた。
友だちは目を丸くして、ねえねえ、ノボリヤマテツミチくんストラップだって、どんなのかな、可愛いかな、車掌さん早く来てくれないかな、と言う。
私たちは自分ひとりでどこへでも行けて、だからとても、悲劇的なのかもしれなかった。

— 1 month ago with 23 notes